朝も、夕方とおなじ錆びた赤を溶かした灰色の空だ。
名前のわからない
いろんな鳥が飛んでいるから。
どこかのB&Bのベッドで
自分の通ってきた外国の夢からひとり目ざめて
この空を見つめている男がいるから。
袖をなくした雲の手が動いているのだ。
論理ではなく寒さが
光ではなく風が
嘘を織る糸を丈夫にしているから
ぼくはこの土地の物語にもぐりこみ
腕にいれずみをした労働者にも
帰ってきたヒーローにもなって
タフ川の、川べりを歩くことができる。
*
ビリーは世界のことをよく知っている。
軍隊でいろんな外国に行った。で、わかった。
ここ故郷のカーディフのパブで飲んでいるのが
いちばん心が落ち着く。
ここには川の水にうかぶ鳥たちもいて
黒くて強い力に動かされながらその力をかわして
自分で動こうとしている。
飛ぶ鳥ではなく、そんな鳥にならなれるだろうか。
寒さでも風でもなく、刻々とすべてが変化していること、それが
主題となるしかない画面のなかでは
鳥や植物の色は濃くも薄くもない。
人間の色は薄い。それは老いる色だから。
小さな石にまで存在の意味を問おうとした若さの
ぬかるみがいまは懐かしくそして恥ずかしい。
*
(わたしに)答えろ。
(あなたが)答えなければ(わたしは)(あなたを)殺す。
ビリーの六十歳のバースデーパーティーで彼のお母さんにも会った。
お母さんのカスタードパイは最高だと彼は思っている。
お母さんは声が出ない。
喉に器具をつけて話す。
ひとり。
またひとり。
マンガに出てくるような犬を連れた人たちとすれちがって
会釈やあいさつをするたびに、夜からつづいた物語の
要素がひとつずつ消えてゆく。
これはよい。よい朝。
(わたしは)元気です。(あなたに)感謝します。
ここウェールズの首都カーディフに来て二か月がすぎた。
*
人生のうち二週間だけ
詩人だったトニー。
彼の話は聞きとりにくいが
三十年前にディラン・トマスを読んで詩を書きはじめ
いまやっとトマスの故郷ウェールズに来たという
ぼくの話にかるく勝っている。
アルバニー・ロードの
パブで知りあったビリーとトニー。そしてその友人たち。
産業革命と石炭の時代の夜からの物語をもつ
ウェールズのワーキングクラス。
みんな軍隊の経験がある。
鳥も植物も土も石もそれぞれに
役割をはたしている朝の地面。そのデモクラシー。
ここでかれらのことをもっと書きたい。
*
ビリーもトニーもひとり暮らしで
毎晩パブで飲む。トニーは
奥さんと別れたあとの二週間、昼も夜も
夢中で詩を書きつづけたという。彼の腕には
彼が十三歳のときに死んだ父親の墓石の
いれずみがある。ヴィクトリア朝時代の暖炉を
彼が修理している仕事場でぼくはそれを見た。
詩人たちがうらやんできたような
よい職人の手だ。その手は手巻き煙草の巻き方や
手話のアルファベットをぼくに教えてくれた。
ビリーは誕生日の夜から飲みつづけて体をこわした。
ウェールズの竜の幻覚を見たというのは冗談だろうが
トニーからそのことを聞いた夜も、ぼくは
ビターを十一パイントも飲み、竜の住む物語の土地に誘いだされた。
*
声を失ったビリーのお母さんの喉や
トニーの手から
言葉が生まれる。
(そのことがわたしの頭のなかにある)
ディラン・トマスの詩のなかのように鳥や木
男や女や子どもが言葉のかたちに見えてくる。
(わたしは想像する)
英語でもウェールズ語でもない
それらの言葉が声になりまた沈黙になり
つながりあって森や野原のようにひろがり
ついには
かつて炭鉱で栄えた谷間の町や
潮のみちてくる河口の村となって
(わたしを)帰ってきた者のように迎えてくれる。
*
見知らぬ土地の
やわらかい時間。
さまざまな糸となる
自然の素材からにじみでるクリーム。
どこに行っても思いがけないおいしさに出会う。
さらに親切な人たちにとりかこまれる
昔ながらの市場までの
迂回。
帰ってきたのだ。
見知らぬ土地に
見知らぬ人として。
そして健康になっている。
元気です。ありがとう。あなたは?
あえていえば悪意が不足している。
*
どういう意味?
十月の風が
こんなにつめたいとは知らなかった。
この風のつめたさに心をつりあわせる必要がある。
あとどれだけの悪意がいるのか?
友よ
もうひとりのディランが歌ったように
答えは風に吹かれている。
その霜の指でかつて二十歳の詩人の
髪の毛を罰した十月の風に。
(ここは朗読のときのためのジョークだが
ウェールズの十月の風はほんとうになにかを罰するように吹く)
むきだしのものに目をそむけない。
それがここでの精一杯の悪意だ。
*
答えろ。
答えなければ殺す。
ラジオからそういう英語が聞こえてきた。
そんなふうに追いつめられることは、現実には
ないと思って外国にいる。
それを単純によしとする場合と
それでかまわないのかと疑っていい場合の
切りかえのコツがのみこめない。
ウェールズでなくても
どこにいても迷いこむ暗がりの
くさった卵のような匂い。
そこで地面が息をしているのを感じる。
この暗さと呼吸からも教訓を引きださない。
これも大した悪意ではない。
*
空腹と渇きのほかは
嘘の糸にからみとって
カーディフの夜に戻った。
アルバニー・フィッシュバー。
鱈とじゃがいもがどうしてこんなにおいしいんだろう。
ぶかっこうな袖をつけた英語で言ってみた。
竜はいない。草がある。花がある。リスの死骸がある。
この朝をもうすこし歩いてみよう。
さっき日がさしかけてきたのにもう雨になっている。
この変わりやすい天候をくぐりぬけてゴミの山に出るときだ。
死んだ鳥たち、死んだ信号に出会うときだ。
それを他人の目で読んではいけない。
自分の目で読んでもいけない。
この懐かしい古典的な謎に向かうときだ。
*
人は見知らぬ土地に
帰ってくることがある。
そしてどんなに切りかえのスイッチを押しまちがえて
めんどうくさいことをかかえていても
アルバニー・ロードで
ビリーやトニーに会えばうまいビターが飲めるように、朝には
ベーコン、ソーセージ、目玉焼き
じゃがいも、いんげん豆、トマト
そしてなまの海苔をパンケーキのように焼いたラヴァブレッドと
塩気のつよいバターをぬったトーストと紅茶。
ディラン・トマスの食べていたような
特大の皿の、とてつもない量の朝食をたいらげて
丈夫な糸で織られたひとつの嘘で口をぬぐいながら
なんの不安も感じないことがある。